2020年10月28日 (水) 22:22 | 編集
朝から通帳記入をするだけのためにわざわざ平塚まで行ってきました。あ〜不便(笑)
その後はランニングを少々。
昼からは買い物したり釣り銭両替したり、市役所に行って宿題の束を貰ってきたり。
その途中で遅めの昼食は「なか卯」で例によっての親子丼にJAF会員特典でウドンをプラス。不思議と今日のネギは非常に美味しい(笑)

夕方から夜は診療室に篭って宿題の束と格闘、、、半分チョイ程やっつけました。
その後は帰りしなに「ヤオコー」に寄って半額見切り品を漁るという水曜日のお約束。
さて、若かりし頃、好きな音楽をまさに「カセットテープが擦り切れるほど」聴いたという方は多いのではないかと。
おいら、音楽はどちらかというと歌詞よりも曲から入るタイプでしたので、当時の洋楽にはショックを受けて(邦楽とのレベルの差が厳然とあったもので)傾倒しておりました。
邦楽を聴くにしても、やはり歌詞よりも曲から入る傾向で、歌詞に惹かれたとしてもそれはメッセージ性の強い歌詞(例えば吉田拓郎とか、、、あ、吉田拓郎はメロディーメーカーとしても優秀ですけど)が中心でした。
要するにロックな曲調とかメーッセージ性の強い歌詞の歌の方が好きで、ラブソングの歌詞なんてのは「まぁ二の次」であったわけです。
そんな中で「これは別」という曲が入っているのが「夢供養」という、さだまさしのアルバム、、、「むきょうよう」ではなく「ゆめくよう」です、というのは当時のお約束。

このアルバムに収録されていた曲たちを、当時、民放FMが「FM東京」しかなかった時代に、ラジカセの前に陣取り「スッテレオ〜トリオ〜、、、ポ〜ン」という時報が進軍ラッパかのように響き、録音ボタンに指をかけ、いわゆる「エアチェック」に勤しんでゲットしたわけです。
昔は有名アーティストのアルバムが出ると、ラジオでその収録曲を流してくれていたんですよね(フェードアウトが早かったり、完璧な状態ではなかったりもしましたが)。
この「夢供養」の中に「歳時記」と書いて「ダイアリー」と読ませるラブソングがあったんですけど、これが当時の青少年の心に響きましてね、、、その当時、メッセージ性の強い歌詞が好きだったおいらにとって、この「薄いガラスと風のような世界」というのは、聴いてはいけない音楽の範疇だったかもしれませんが、ハマりましてね、、、なんていうんでしょう、、、他のアーティストの歌詞とは一線を画す、歌詞というより詩のような、繊細で切なくて美しい言葉に惹かれたんだと思うんですけど、、、そんな歌詩を耳で追い続けて、曲の最後で「さよなら、僕の好きだったひと、、、」という一言を聞くと、涙もろい人だったら涙腺が一気に緩む、そんな感じの歌です。
40年近く経った今になって聴き直してみると、当時とはまた違った感覚で聴くことができます。
なんて言うんでしょ、、、一言で言ってしまうと、この歳になって随分と、カボチャパイの味がわかってきたところ、、、ですかね。