2020年11月10日 (火) 22:22 | 編集
先週の金曜日(6日)の記事で、懐かしのキハ58について記しましたが、ついでと言ってはなんですけど、埋れた写真を掘り出していたところ、昭和40年代に非電化幹線のエースとして君臨していた80系気動車、中でも優美な形態で亜幹線のクイーンと謳われた先頭車:キハ82の写真がありました。
その昔、おいらが鉄ちゃんだった頃、今から約40年前ですが、島根県の山陰本線、三保三隅駅付近で撮った、80系も晩年に近づいた頃の写真です。

非電化の地方幹線を走行することが前提だったため、沿線の利用者数の増減に柔軟に対処する必要性が生じました。
途中駅での分割併合が容易に行えるよう、前面貫通型の先頭形状となったわけですが、そこは特急用車両として、他の車両とは一線を画した優美なデザインが与えられました。
運転席前面のガラスは側面まで大きく回り込んだ曲面ガラス(パノラミックウィンドウ)で、デザイン上のポイントとなり、造形面での優美さと機能性を兼ね備えた完成度の高い前頭形状を形成しています。
これ、1961年のデザインですからね、当時としては非常に斬新だったことでしょう。

写真の列車は、当時、大阪から博多まで山陰本線経由で走破していた「まつかぜ」です。
朝8時頃に大阪と博多をそれぞれ出発して、終着は夜の9時頃と、13時間もの長きをかけて走っていました。
大阪〜博多間は当時すでに新幹線がありましたからね、わざわざ山陰本線経由の遠回りで乗り通す人など皆無に等しく、この列車の役割は近畿圏と山陰地方、九州北部と山陰地方を結ぶことでした。

写真は6両編成ですが、グリーン車と食堂車を組み込んだ編成で、大阪〜鳥取間はこれに6両が増結されて堂々の12両編成で運転されていました。
こんな列車が今でも走っていたら、食堂車でビールなどを飲みつつ、山陰の綺麗な海を愛でながら、旅情に浸りまくるのになぁ。。。