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185系を想う
2021年03月12日 (金) 22:23 | 編集
 
今日は3月12日、JRダイヤ改正の前日ということで、40年の長きにわたって活躍してきた185系の定期運用の最終日。
そんなわけで、惜別の情も込めて、今日は185系について語ろうと思う。

今から40年前、東京と伊豆を結ぶ列車は、特急「あまぎ」と急行「伊豆」の2本立て。
「あまぎ」に使用されていたのは、当時の国鉄の特急車両の直流型標準形式、183系であった。


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183系は関東甲信越を中心に広く使用されていた、赤とクリームの2トーンカラーの典型的な「国鉄の特急電車」である。

「伊豆」に使われていたのは、東海道新幹線開業前から東海道本線で活躍していた急行車両の標準形式の153系。


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当時の東海道線の急行列車といえばこの車両で、神奈川県西部から静岡県にかけての蜜柑畑をイメージする2トーンカラーで、普通列車にも頻繁に使用されていた。

この153系が老朽化したのを受けて、1981年から代替車両として投入されたのが185系である。


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そんなわけで185系のデビュー当時は、急行「伊豆」と普通列車に充当されていた。
153系から185系に置き換えられてゆく過程では、しばしば両形式の併結運転も目にすることができた。


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153系が185系に全て置き換えられた時点で、急行「伊豆」を格上げする形で新しく特急「踊り子」が誕生した。
正確には、急行「伊豆」と特急「あまぎ」を廃止して、急行「伊豆」よりは停車駅が少なく、特急「あまぎ」よりは停車駅の多い列車を新設し、185系を充当する、、、それが特急「踊り子」だったというところである。

デビュー当初の185系は、鉄道ファンの間からは非常に不評な車両であった。
理由は特急用車両なのに「特急らしくない」から。
最も槍玉に上がったのが、その車内設備である。
国鉄の特急列車といえば回転式クロスシートが標準なのに、185系は関西地区で新快速に使われている転換式クロスシートと同等の椅子を装備していたことが、「特急はかくあるべき」という鉄道ファンには許せなかったのである。
さらには特急型なのに窓が開くという点も「特急らしくない」と揶揄される点であった。

そもそも185系は、急行型の153系を進化(グレードアップ)させた車両で、普通列車にも使用するというのが前提であったので、どうしても旧来の特急型よりはカジュアルな感じになるのは避けられなかった。
普通列車への使用を前提にしているため、従来の特急型車両よりも通路を広くとり、ドアも広く設計されていた。
その一方で、従来の車両にはないスッキリした天井の造作、金属パイプの見えない網棚、コルク柄の壁面デザイン、爽やかなカーテン色など、それまでの国鉄の標準型車両にはないハイセンスなデザインで、個人的には好きだったのだが、これも多くの層には受け入れられなかったようである。


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そしてなにより、その外装は、それまでの国鉄では到底考えられなかった斜めラインのストライプ、、、当時としては斬新すぎるその外観もまた「落ち着きのないデザイン」と、批判の矛先が向いたのであった。

当時は急行型車両を普通列車にも使用するのは当たり前であったが、特急型車両を普通列車に使用するという前例がなかったので、大いに批判されたわけである。
加えて、急行を廃止して特急に格上げし、一本化するというのは「実質的な値上げ」と批判され、当時の国鉄の巨額な累積赤字は国民的な批判の対象であったことも作用して、「姑息な増収策」と揶揄された。

その後、国鉄はJRとなり、バブル景気も相まって、東海道線の混雑度は悪化の一途を辿り、185系を普通列車に充当することは現実的ではなくなってゆく。
普通列車としての運用も徐々に数を減らしてゆき、それに伴い後年、評判の悪かった転換式クロスシートも回転式クロスシートに換装されて現在に至っている。

個人的には185系には非常に愛着があって、好きな車両である。
理由は前述の「特急らしくない」と揶揄されながらデビューした点である。
内外装のデザインなど、当時としては画期的で秀逸な点も多く、その後の車両の礎になったものが数多いのだが、それが殆ど評価されていない点も大いに共感が持てる。

185系の登場時、自分は鉄道ファンの一人だったが、同好の士たちは一様に185系を悪く言い、「185系、なかなか良いと思いますけどねぇ」と言う私は変人として見られていたのである。
「特急車両はかくあるべき」という思いが強い旧来の鉄道ファンの気持ちは解らなくなかったが、そこから少しでも外れるものを非難する風潮には馴染めない感情が私にはあった。

思えば自分の人生も「生徒らしくない」「学生らしくない」「医局員らしくない」という周囲の批判的視線との葛藤だった。
「学生はかくあるべき」「医局員はかくあるべき」という規範を最低限守る必要はあると思うが、状況の変化に対応して変化する必要は必ず生じるものだ。
その過渡期に代表者として任務を請け負うことになった者を単に批判するだけでなく、難しい時期に一肌脱いで任に当たってくれているというリスペクトの念もまた持ち合わせて欲しいと思う、、、185系の登場時に多感な年齢だった自分と重ね合わせると、それから40年にわたって活躍をし、長寿車両となったのもまた妙に感慨深いものがある。



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