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アイルトン・セナと昭和シェル石油
2021年09月06日 (月) 22:27 | 編集
 
今から約30年前、日本は空前のF1ブームでありました。
それまで我が国のモータースポーツは、一部の熱心なファンを除いて、お世辞にも人気のあるスポーツカテゴリーではありませんでしたが、F1ブーム当時はスポーツ紙の一面を飾ることも珍しくなく、鈴鹿で行われた日本グランプリは、土曜日午後の予選が生中継、日曜日の本戦はゴールデンタイム放送、という凄まじさでした。

ブームを牽引したのは、当時無類の強さを誇ったホンダエンジンであったことは間違いありません。
1987年から1992年にかけては「ホンダエンジンを積んだ車に乗らなければチャンピオンになれない」状態が続き、ホンダエンジン車以外が全て周回遅れになるということも珍しくありませんでした。
それ以前もホンダは、2輪レースの世界で強さを誇っていましたが、4輪の最高峰のF1となると、そのインパクトは圧倒的で、クルマ好きなら誰でも耳にしたことがある、フェラーリ、ポルシェ、BMW、フォード、ルノー、アルファロメオ、ランボルギーニなどの名だたる海外メーカーのエンジンを尻目に日本製エンジンが圧勝し続けるわけですから、そりゃぁ日本人からしたら盛り上がるのも当然です。

ホンダエンジンがブームを牽引したことに間違いはありませんが、1987年から中嶋悟がF1ドライバーとして日本人初のフル参戦を果たしたこと、そしてやはり1987年から鈴鹿サーキットでF1日本グランプリが毎年開催されるようになったことも、F1ブームに拍車をかけました。

そしてホンダと共にF1ブームを牽引したのが、マクラーレンホンダで1988年、1990年、1991年の3度のチャンピオンに輝いたアイルトン・セナの存在です。
日本人ドライバーを除けば、セナの人気は日本では圧倒的でした。
そんな彼を今回は「昭和シェル石油のCMを通して」振り返ってみたいと思います。

当時の昭和シェル石油は、F1ブームに火がつき始めた1987年からすでに、マクラーレンTAGポルシェのアラン・プロストをイメージキャラクターに据えてCMを流していましたが、1988年からセナがマクラーレンに加入し、エンジンもTAGポルシェからホンダに代わることになり、まさに千載一遇のチャンス、、、昭和シェル石油の広報担当者は「この好機を逃すまい」と思ったことでしょう、まさに怒涛のCM攻勢だったのを憶えています。





1988年シーズンはマクラーレンホンダの16戦15勝、しかもワンツーフィニッシュ10回という、まさに独壇場でした。
シーズン終盤からは「昭和シェルがチャンピオンになりました」かのような、有頂天CMが流れるようになりました。





今になって思えば、この1988年シーズンのようなCM映像が撮れたことが貴重でありまして、翌1989年シーズンはプロストとセナの関係も悪くなり、昭和シェル石油も無味乾燥なCMへと変化、、、1990年からプロストがフェラーリに移籍したことを受けて、1991年にかけての昭和シェル石油のCMは、日本で圧倒的人気のセナを全面に押し出す構成になりました。





そして1992年になると、もう完全に世も末と言いますか「セナに会いたい」やら「セナ様〜」やら、、、





にわかファンがキャーキャー言い出すとブームは終盤に入ったと言えるわけでして、、、





まぁそれでも、セナが圧倒的に速い天才的ドライバーだったことは疑いの余地はありませんし、セナ自身も日本のことが大好きだったのもまた事実です。





1993年からホンダのF1休止、1994年のセナの事故死などもあり、F1ブームは徐々に収束していくのでした。


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いや〜それにしても、当時はおいら自身もCMの影響を受けまくり、フォーミュラーシェルという高価なハイオクガソリンを愛車に給油して、スパークエイダーの効果を実感しながらドライビングを楽しんだものでした(嘘)。



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