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27年前の朝の記憶
2022年01月17日 (月) 22:25 | 編集
 
27年前の今日、いつも通りの火曜の朝、目覚めてテレビをつけると、なんでも関西で大きな地震があったらしい、、、へぇ関西で?珍しいじゃん、、、くらいのノリでした。
そう、まだトップニュースじゃなかったんですよ、今では信じられないことですけど。
テレビに流れる映像も関西キー局のある大阪中心部のもので、結構揺れたみたいだけどまぁまぁ普通の都会の光景、交通機関は乱れてるみたいだけど。。。
しかし、朝8時くらいになって神戸市内の映像が入ってきて、ビルが根本から倒れて片側2〜3車線の広い道路を完全に塞いでいる光景を見て「ちょっと、これはただ事じゃないぞ」、と。
仕事に出かけ、当時はインターネットも普及しておらず、忙しく仕事をしている間はニュースに触れることなどできず、、、仕事終わりで夜遅く帰宅してテレビをつけると、それはもう大変なことになっていて、、、アナウンサーが「これは神戸震災と呼んでいい状況かもしれません」と言ったのが記憶に残っています。
当時「震災」という言葉は、関東大震災しか知りませんでしたからね、この言葉が使われるようなことが起きた、、、という印象でした。
翌朝、テレビをつけると、昨夜来の火災が全く消えておらず、街が広範囲に燃え続けていて、消火活動が全く出来ない状況であることが解って、しかしヘリコプターによる上空からの中継映像は延々と流れていて、、、神戸には仲の良い同級生がいたので何度も訪れていて思い入れのある街でしたから、異様な無力感〜絶望感に襲われたことを憶えています。

この時期って、既にバブル経済は崩壊していて、前年には松本サリン事件、震災後の3月に地下鉄サリン事件と、世相がどんどん暗くなっていったんですよね。
後に新快速電車の車窓から見た長田駅周辺の広大な更地に衝撃を受けた記憶は今でも生々しいですが、神戸の街はその後、着実に復興して今に至ります。
ライフラインという言葉もこの震災をきっかけに定着しました。
阪神淡路大震災をきっかけに、日本は地震活動期に入り、今や震度5など珍しくもなくなりました。
首都直下地震が起きたら、その被害は阪神大震災の比ではないという専門家の見解もあります。
日本はいつどこで地震が起きても不思議じゃないということを今一度胸に刻もうと思います。



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