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NOと言える日本 を書いた人
2022年02月01日 (火) 22:23 | 編集

「良くも悪くも」とか「功罪」とか「賛否」などという言葉がついてまわる人、、、決して調整型ではなく典型的な決断型の政治家だった人、、、石原慎太郎氏が亡くなりました。

危機管理を目的に全国レベルで首都機能分散論が取りざたされた時に「バカ言え、日本の首都は東京しかないんだ、一極集中で結構じゃないか」と断固反対した時には、意外と大局観のない人なのかとガッカリもしたし(「東京から日本を変える」がキャッチフレーズだったから、当時ああ言うしかなかったのはまぁ理解できる)、、、ディーゼル車規制の時の「思いついたら徹底的に」の実行力は凄かった、、、おかげで個人的には当時の愛車を急遽(まさに急遽だった・・・)手放さざるを得なくなったし(おいら東京都民じゃないのにねwww)、、、半端ない実行力といえば、官製銀行:新銀行東京を設立して、結局は破綻させるという大々々失敗をしたり。。。

そして、今では皆さん当たり前のように利用している(新コロのせいで「利用していた」が正しいですけど)羽田空港の国際化も、石原さんの「功」の部分。
計画頓挫した成田新幹線の遺構を利用して成田空港直下に乗り入れる成田エクスプレスと京成スカイライナーも、当時運輸大臣だった石原さんが後世に遺したもの。

1999年の東京都知事就任時から、ゆくゆくは「石原新党」を結成して国政に打って出るのでは?と言われていて、おそらく本人もその気満々だったはず、、、ところが2001年4月から巻き起こる小泉旋風によって、その機運はしぼんでいった。。。
その当時、まだインターネット黎明期というか、動画なんて容量大きすぎて見られなかった「動くニュース映像といえばTVだけ」の時代、、、おそらく石原さんの発言は色々なところが切り取られて編集されて放送され、記者に対して不遜な態度をとり続ける人として、印象付けられていったんだと思うんですよ。
まぁたしかに、色んなところで怒っていましたからねぇ、、、進歩的文化人と言われる人や、護憲論者、観念的平和論者などに対しては、本当に容赦がなかった印象ですわ。
その点、小泉純一郎という人は、当時のマスコミを利用するのが上手かった、、、2000年代前半に政権を握るに当たってのベストな利用法を知っていましたねぇ。


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