2022年03月11日 (金) 22:26 | 編集
被災地の皆様、被災地以外で様々な影響を受けている皆様、日々の暮らしが穏やかでありますように、、、多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ウクライナの皆さん、11年前に心を日本に寄せてくださりありがとうございました。
今、私たちの心は皆さんと共にあります。
11年前の今日、そうです、奇しくも11年前の3月11日も金曜日でした。
午後2時46分、数多の命が失われた未曾有の大災害の始まりでした。

まずは未曾有の自然災害、大きく長い揺れによる建造物の被害、しかしこれは今になってみれば序の口で、その後に襲来する巨大津波によって東日本の沿岸部が壊滅します。
そしてさらに原発事故という未曾有の人災が続きます。
東日本の鉄道は直接の被災地はもちろん、首都圏も含めて地震発生直後に全停止し、そのまま終日復旧しませんでした。
JR東日本は、終日の全線運転取りやめを決めた直後に全駅を閉鎖、シャッターを下ろして都心部に大量発生した帰宅困難者を駅外に締め出すという大失態を犯します。
これを知った石原慎太郎東京都知事が激怒するという一幕もありました。
首都圏の鉄道は翌日の3月12日土曜日に順次運転再開するも、本数は極端に少なく、前日からの帰宅困難者で、どの列車もスシ詰め、電車はノロノロ運転で、車内は完全なる修羅場、体調不良者続出でその対応に追われて駅で長時間停車、東京から藤沢までなんと2時間半もかかった、、、というのは、帰宅困難者となって都心で一夜を明かして当院にヘロヘロで辿り着いた患者さんの談。
ちなみにこの日のJR東日本は自動改札を完全開放してスルー運用、運賃は一切徴収しなかった、、、これは前身が国鉄という「旧官」の成せる業。
やはり旧官の電電公社が前身のNTTも、地震発生直後から街中の公衆電話は完全無料になったのもまた然り。
ところで、地震発生2日後の3月13日の日曜日、この日の首都圏の鉄道は直接の被災地を除いて、ほぼ平常運行していたというのは、意外と知られていない事実。
しかし、この日曜日の夜8時に、翌日3月14日月曜日からの「計画停電」が発表されるのです。
今になってみれば、世紀の愚策の「計画停電」ですが、この計画停電に首都圏の鉄道事業者もお付き合いをさせられることになり、運休や大幅減便が発生することになります。
鉄道の電力は独自の発電所があったりするなど、我々一般の生活電力とは完全に別系統なのですが、計画停電が実施されている地域の鉄道も一緒に運休し、駅も消灯して閉鎖する、という施策がとられました。
この愚策、おかしいと気づきながらも解消するまで暫くかかり、計画停電が実施されている地域でも駅だけは営業して電車が走るようになるのは、なんと3月23日の水曜日からなんですよね。
計画停電の実施中は、百貨店やスーパー、コンビニはもちろん、外食店も営業中断を余儀なくされ、冷凍食品は停電時間外でも販売に制限がかかりました。
しかも計画停電実施初日の3月14日月曜日は、結局のところ計画停電は実施見送りで混乱に拍車、、、翌3月15日火曜日から実施されたこの計画停電により、間接的な被災者を首都圏に大量発生させることになるのです。
社会活動の活発な時間帯をターゲットにして何日も停電した計画停電ですが、もちろん歯科医院も例外ではなく、停電実施中は治療ができません。
患者さんに予約変更の電話をかけることに忙殺される日々が続きます。
今、思い返しても計画停電は本当に辛かった、、、特に藤沢市の多くの地域は「死の第1グループ」と言われた実施頻度の高いグループで、1日2回、計6時間の停電も多く、診療業務に多大な影響が及びました。
この計画停電は3月24日木曜日まで続き、死の第1グループにとって地獄の10日間でした。
その後は「本日の計画停電は中止になりました」という日が続き、「明日からはもう夏までは計画停電はありませんよ〜」と言われたのが4月8日金曜日、、、「やれやれこれでひと安心」な日でした。
巨大地震発生以降、震災報道一色だったTVが、変化し始めるのは4日後の3月15日火曜日からで、この日から「感動ありがとう」系の話題や映像が流れ始めて、まだ原発事故が現在進行形で、政府からの情報も小出し隠蔽状態なのに、、、と、個人的には相当な違和感を感じました。
翌3月16日水曜日からは、民放は通常番組に戻りつつあって、TV局が喪に服す期間が終わったってことなのか、視聴者がそろそろ震災特番に飽きて、放送局に苦情が寄せられていたのかもしれません。