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日本人の心に残る人の命日
2022年05月01日 (日) 22:27 | 編集
 
GW3日目の日曜日、午後から雨の予報が出ていたので、午前中にランニングをしたんですけど、11時前から雨が降り出し、11時半には完全に本降りになって全身ずぶ濡れになりました、、、寒っ。
午後は診療室に引き篭もって4月分のレセ作業に勤しみました、、、あ〜めんど。

さて、今日5月1日はアイルトン・セナの28回目の命日です。
28年前(1994年)の今日、34歳でこの世を去ってしまったわけですけど、日本のF1ブームはホンダと彼を中心に回っていたと言って過言ではなかったですから、前年からホンダが撤退していたこともあり、彼の死後、潮が引くように徐々にブームも衰退していくわけです。


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セナはとにかく速かった、特に雨のレースでは別次元。
しかしポールポジション獲得回数の割には優勝回数は多くない、、、そう、圧倒的に速いんだけど圧倒的に強くはない、、、どこか脆さがあって、そこがまた日本人が彼を応援したくなるところでもありました。
彼が亡くなった時も、ポールポジションからスタートして、トップ走行中に事故が起きるわけですもの。

存命なら62歳、、、F1引退後も何かしらモータースポーツに携わっていたのでしょうか。
昨年(2021年)有終の美を飾った第4期ホンダF1に対して、どんなコメントをしたんでしょうね。


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そして今日、元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏が亡くなりました。80歳でした。
旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ生まれで、1986年にユーゴ代表監督に就任、1990年W杯イタリア大会で8強入りを果たします。
2003年にジェフユナイテッド市原の監督に就任し、05年ナビスコ杯優勝。
2006年7月に日本代表監督に就任しましたが、07年11月に脳梗塞に倒れ退任を余儀なくされました。

印象的な言葉と、その独特の指導で多くの選手や指導者に影響を与えたサッカー界の知性であり、日本代表の功労者でもありました。
もしもあのまま代表がオシムに率いられていたら、、、オシム監督率いる日本代表がワールドカップを戦うところを見たかった、、、過去を振り返ればそんな思いがよぎります。

オシム監督が会見などで語るコメントは比喩を多用するなど意味深いものが多く、いわゆる「オシム語録」として多くの人々の印象に残っています。
代表的なものをいくつか挙げると、、、

「守備的な選手はいるのか? 水を運ぶ選手も必要だ。福西1人で水が運べますか?」(06年6月、攻撃的なタレントがそろったジーコジャパンの中盤の現状について)
「物事を客観視すれば良い話ができる。自分たちの能力以上のものを期待して盛り上がると、失望することになる」(06年W杯ドイツ大会で日本の1次リーグ敗退を嘆く風潮に対して)
「古い井戸には水が少し残っている。それなのに、古い井戸を完全に捨てて新しい井戸を掘りますか? 古い井戸を使いながら新しい井戸を掘ればいい」(06年7月の代表監督内定後、日本サッカー協会川淵キャプテンとの初会談で今後の選手選考について)
「勝つと大切な直すべき点が見えてこない。歴史、戦争、原爆の上に立って考えるべき。負けたことから最も教訓を学んでいる国は日本だ。今は経済大国になっている。失敗から学ぶ姿勢がなければ、サッカーは上達しない」(06年8月の初陣トリニダード・トバゴ戦前日会見で)
「世界基準があっても、日本は誰のまねもしない方がいい。ほかの国にないものを持っている。俊敏性、積極的な攻撃、高い技術。でも、教育の段階から自由に判断することを許されていない」(日本人選手の特長について)

、、、サッカーだけでなく、人生の色々な場面においても当てはまりますね。



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