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まだまだ黎明期
2022年08月25日 (木) 21:38 | 編集
 
18日からいただいていた当院の夏休みも、本日(25日)をもちまして最終日です。
今日も本業以外のお仕事でして、口腔保健センターに行って障害者歯科診療の当番をしてきました。
今年は8日間の休診日のうち4日は何かしら仕事をしていました、、、だから夏休みを世の中と1週ずらしたのですがね。
当番終わりで我が診療室に行くと、今日もたくさんのFAXとそれ以上にたくさんの着信履歴が、、、さて、明日と明後日はどういうことになるんでしょうね、戦々恐々です。

さて、昔の時刻表に載っていた広告の話。
鉄道の時刻表に航空会社の広告が載るというのは今も昔もよくあることです。
昭和31年(1956年)の時刻表には日本航空の広告が掲載されていて、東京〜バンコク線が開設された(正確には東京〜香港線を延長した)ことを報じています。
子供の頃、大人たちが「〇〇さんはバンコックへ行ってらしたんですって」みたいな話をするのを耳にしていたので、バンコックって呼称がバンコクになった時は違和感ありましたねぇ。
で、1956年当時はバンコツクという表記ですかぁ、、、時代ですなぁ。


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そして注目すべきは、当時の日本航空には国際線が3路線しかないこと。
東京〜ホノルル〜サンフランシスコと、東京〜沖縄〜香港〜バンコックと、福岡〜沖縄です。(沖縄は当時まだ返還されていなかったのでパスポートの必要な国際線でした)
しかも東京発サンフランシスコ行きは火木土の週3便、東京発バンコック行きは水土の週2便、日月金にはJALの国際線の出発がなかったっていうすごい時代です。
おまけに国内線の拠点も東京、大阪、福岡、札幌のみというね、、、でもこれはおいらの少年時代でもそうでした。
日本航空は国際線と国内幹線を、全日空が国内幹線とローカル線を、東亜国内航空が国内ローカル線を主に運航するよう定められた運輸大臣通達が改正されたのが1985年ですから、まぁこの1956年当時はヒコーキ旅行なんてのは高嶺の花も高嶺の花、一般人には無縁のものでした。
この後、1980年代にはジェンボジェット(ボーイング747)の世界最大のカスタマーになるなんて誰も予想していなかったことでしょう。



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