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特ロの話
2022年08月28日 (日) 22:25 | 編集
 
昨日取り上げた民生産業(現・日産ディーゼル)のバス広告ですが、その宣伝文句「特2のような乗り心地で評判です」の「特2」とは?、のお話です。

特2とは「特別2等車」の略称なのですが、まずは昔の等級制について触れておかねばなりません。
昔の日本は今とは比較にならないほどの格差社会でした。
国鉄の運賃は1等、2等、3等の3等級に別れていて、3等乗車券が今の普通乗車券に相当します。
ちなみに運賃価格は2等は3等の2倍、1等は2等の2倍です。
2等以上の運賃には20%の通行税が課されていたため、実際の運賃は2等が3等の2.4倍、1等が3等の4.8倍でした。

1等は3等の4.8倍なので、庶民にとっては「高嶺の花」どころか事実上の「無縁」です。
そして、この広告が掲載された時期に1等車が連結されていたのは東海道本線を走る東京〜大阪間の特急2往復だけでした。
特急の3等車ですら高嶺の花だった時代、1等車は一部の特権階級だけが利用できる別世界だったんですね。
そもそも全国で特急が走っていたのは東京〜大阪間だけなので、他の線区の最優等列車は急行でした。当時の限られた富裕層は急行の2等車に乗っていたわけです。

ところで戦後ですから、GHQの人たちも鉄道を利用するわけで、東京〜大阪間を移動するときは当然のように特急の1等車を利用しました。
それ以外の路線を利用するときの最上級設備は急行の2等車、、、ところがGHQにはこれが非常に見すぼらしく映ったようで大不評でした。
当時の2等車は3等車の2.4倍の価格とはいえ、向かい合わせのボックスシートが僅かに広く、背ズリのクッションが少し柔らかい程度でしたので、身体の大きなGHQの人間には苦痛以外の何物でもなかったようです。

そこでGHQは国鉄に特別2等車の製作を指示しました。
それまでの2等車とは異なり、座席は向かい合わせではなく進行方向を向いたリクライニング機構付きシートになりました。
シート表皮は赤のモケットで、これがその後のグリーン車のシートの標準型となり、国鉄末期まで基本設計を変えずに製作され続けます。
JR化後もシートの構造は各車両ごとに独自性が出るようになりますが、シートピッチに関しては、この当時から現在まで1,160mmで基本的に変化がなく、1等車を除けば、いかに外人サイズの破格の豪華設備だったかということです。


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昔はシートの白いカバーが頭部だけでなく腰から上が当たる全てを覆っているわけですが、これは当時斬新だった赤いモケットのシート表皮が「白いワイシャツに色移りする」という苦情を受けての措置だったようです。
昔の人ってシャツは全て白でしたし、赤は色移りするっていうイメージだったんですかね。

そんな特別2等車ですけど、車両の増備が進んでだんだんと「特別じゃない旧来の2等車」が少なくなってゆき、東海道新幹線開業や東京オリンピックが近づいてくると、世の中の格差も縮まってきました。
そこで1960年、国鉄は2等級制へ移行します。1等車を廃止し、それまでの2等車と特別2等車を1等車に、3等車を2等車へと呼称変更しました。
そして1969年、国鉄は等級制を廃止して運賃を一元化、それまでの2等車を普通車とし、1等車をグリーン車として、普通運賃にグリーン料金を足すことによって利用できるようになり、旧特別2等車は一気に大衆化したというわけです。



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