2022年10月29日 (土) 22:26 | 編集
昨日、江ノ電の江ノ島駅が昔は片瀬駅だった話題を書きましたが、それが引き金となり、急に地元愛というか地元の謎に対する探究心がムラムラと湧いてきてしまいました。
現在の片瀬地区というのは、大まかに分けると、片瀬・江の島・片瀬山・目白山の4地区に分けられるんですけど、その中でも最も謎深く難解なのが本丸の「片瀬」なんです。
1966年の住居表示が行われる前の、1873年制定の「旧小字」いわゆる字(あざ)の地名や、それ以前の(江戸時代はおろか鎌倉時代までさかのぼる)伝統的集落名が住民の中では今でも健在なんですわ。

おそらく住民の皆さんにとっては片瀬1丁目〜5丁目の表示なんて行政上の線引きでしかないんでしょう。
町内会や自治会も、片瀬ではいまだに古い地名で区分けされていて、片瀬の皆さんの地元愛がいかに強いかが伝わってまいります。

自分は4歳の時(1970年)に当時造成されたばかりの新興住宅地:片瀬山に引っ越してきたので、いわば完全な「よそ者」ということで、旧小字や伝統的集落名が全く分からず、ちんぷんかんぷんでした。
新屋敷(あらやしき)とか、東リ町(とうりちょう)とか、龍口(たつのくち)とか、下之谷(しものや)本町とか、当時の小学生には全くの意味不明です。
新屋敷は鎌倉時代前期の豪族が屋敷を建てた場所で今でも大きなお屋敷が多いだとか、東リ町は片瀬の守り神:諏訪神社の東側の通り道の略だとか、色々な説があります。
小学生の時から謎だった「どの地域のどの辺りがどの旧地名だったのか」というのを50年経った今、非常に興味が湧いてきまして、、、今は便利なインターネットがありますからね、100年以上前の地図も容易に見ることができます。

この地図は90度回転していて、左側が南(江の島方面)で、右側が北(藤沢駅方面)になります。
もう完全に地元の人しか分からないと思いますが、片瀬小学校はもう開校していて、江ノ電も走っていますが、国道467号線はありせん。
今は暗渠になっている赤山(今の片瀬山)から流れ出る小川も片瀬川に合流しています。
本日は超ローカルな地元愛に特化した話題となってしまいました。
片瀬地区以外の方、ごめんなさい。