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トラウマでもあったりする
2023年06月05日 (月) 22:26 | 編集
 
上岡龍太郎氏が、5月19日に81歳で亡くなった。
京都市で生まれ、1960年に横山ノック氏らとともに「漫画トリオ」を結成して人気者となり、1968年に「漫画トリオ」の活動を休止してからはタレント・司会者として活躍し、辛口のコメントと知的で切れ味のよい流暢な話しぶりが印象的だった。

個人的には「探偵!ナイトスクープ」の初代局長としての上岡氏の存在が大好きで、二代目局長の西田敏行氏に代わった時には、率直に「つまらなくなった」と感じたほどであった。
そして「パペポTV」も大好きでよく視ていたのを、30年以上前なのについこの間の事のように思い出す。


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ただ1990年代に本格的に東京進出された時は、切れ味鋭い舌鋒を強調するせいか、あまりにも大上段から正論を振り下ろすような印象となり、上記2番組のような肩の力の抜けた感じが消え、個人的にはあまり好きではなかった。
発言内容に僅かな論理的ほころびを見せた相手に対しての容赦のないツッコミは「怖さ」を感じるほどであり、ゲストのコメンテーターが少しでも非科学的な、例えばスピリチュアルな類いのことを口走れば、徹底的に論破されていた。
特に、心霊研究家やUFO研究家、怪しげな占い師などに対しては一切の容赦がなく、全ての逃げ道を封鎖し、ぐうの音が出なくなるまでやり込めていた印象がある。

上岡氏が芸能界を引退したのが2000年、そしてその後に一挙に普及したインターネット、そのコメント欄などで、やたらと相手に噛みつき、自身の正論を大上段から振り下ろすような人が散見されるが、そういう人は「東京進出時の上岡龍太郎が大好き」なんだろうな、と思う。
でも上岡氏とは違い、コメントから「お笑い」の要素が抜け落ちているので、読めば不快なだけであるのだが。

個人的には22年前に歯科医院を開業した初期の頃、非常に対応に苦慮した患者がいた。
今で言うところの筋金入りのクレーマーで、あまりの無理難題の連続に、最終的には来院をお断りすることになるのだが、その際に受けた捨て台詞は今でも忘れることができない。
その人の話しぶり、服装センス、頭髪、眼鏡が、現役晩年の上岡氏を彷彿させるものだったので、個人的に上岡龍太郎はトラウマだったりもするのだ。

やはり上岡龍太郎はナイトスクープの局長で探偵を叱り、パペポで鶴瓶のアホな話をニヤニヤしながら聞いて、時に鋭いツッコミを入れるのがいいやね。



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