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先の見えぬ原発事故処理
2024年03月11日 (月) 21:58 | 編集
 
今日は月曜日なので「休肝日はじめました33」というタイトルでも良かったのですが、やはり3.11ですから、13年前の今日と同じ時刻、午後の診療開始前に個人的に黙祷をして、当時の状況に思いを馳せました。


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13年経った今でも原発事故に関係することは先が見えていません。
廃炉計画の先が見通せないのはもちろん、帰還困難地域は今でも残っていて、13年の間に帰還が可能になった地域でも、住民はわずかしか戻っていません。
避難先で新たな生活が始まり、一定の年月が経てば、その地に根付いた生活を送るようになるのは当然で、帰還しない人が増えるのは必然です。


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原発事故から程なくして、地元選出の議員が「死の街」と言ってしまい、猛烈な批判を浴びましたが、今になってみれば、地元を愛するが故に将来を憂い、心から出た率直な感想で、的外れな失言というわけではなく、むしろ将来の悲観的な状況を言い当てていたのですが、当時の避難民(=選挙区の有権者)の心情を思えば、批判されて謝罪に追い込まれるのは必然で、民主主義の良さと脆さが両面見える事例でありました。

「皆さんが生きている間に完全復興することは困難です」
「仮に復興したとしても、以前と同じ生活を送れるかというとそれは・・・」
おそらく当時から上記のようなことを思っている人は一定数いたはずです。
でも、誰も言えなかったし、今でも言えません。

その一方で、原発から南へ50kmほど離れ、避難先となったいわき市では、復興バブルと賠償金バブルで歓楽街は大繁盛、、、それを目当てに県外からも業者が転入してきたり。。。
仕事をしない方が収入が多いとか、賠償金を貰った人と貰わなかった人との格差などという、表と裏があるのは知る人ぞ知る現実です。



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